先日参加したトークイベントで
「ワクワクする」という言葉が何度も交わされた。
場づくりをテーマにした内容だったが、
たぶん20回ぐらいは「ワクワクする」が出た気がする。
「みんながワクワクすることをやろう」と。
「ワクワクする」は主観的なものなので人によって違う。
個人の実感として使うのはまだわかるけど
対象が第三者になった状況では
「ワクワク」の具体例を提示されないと
結局何をするのか?がすごくぼやけてしまうので
「みんながワクワクする」とか言われても
その場でなんとなく良さそうな気がするだけで
結局何なのかよくわからない、というやつ。
使い勝手のいい便利な言葉だけど
何かを生み出すことを目的とした
対話の場で多用されてしまうと
曖昧なままふわっと漂うだけで、
そこにコミュニケーションは生まれづらい。
わかるようで、何もわからない。
自発的に何かやってみたくなる、なのか
参加してみたくなる、なのか
美しいものを見られる、なのか
誰かと出会える、なのか
自由に遊びたくなる、なのか
あらたな知見を得られる、なのか
用はないけどふらっと寄りたくなる、なのか
あるいは他の何か、なのか。
それら全てワクワクの要素となり得るけど
それぞれは同じじゃないし
それを生むための手段も違ってくる。
以前、とある制作物の元々のコピーにあった
「ワクワクする」というフレーズを
根拠を具体的に提示しつつ翻訳する形で変えたことがある。
じゃないと何も伝わらないと思ったから。
「ワクワクする」を
コミュニケーションの言葉として
気軽に使わないようにしよう、と
あらためて思った。
