八百万の感性

この国の神は
信じるのではなく感じることで存在する。
と思っている。

感覚は、触れるものの数だけ無数に生まれ続ける。
知識も、証も、必要とせず、確実に自らの内にある。

八百万に神が存在する、
という感性がとても好きだ。

自らが日々感じるあらゆるモノやコトを
畏れ、敬い、感謝する生き方の中では
感覚を有する自らの存在の優先順位は限りなく低い。
人の善とか悪といった心と行いは正直どうでもよくて、
日々現実として関わっている八百万によって
自分が生かされていることを基本に
それらをありがたいと感じながら過ごすことを良しとする。
感性なくして存在しない神。

しかも、各々が崇める神もさまざまで
絶対的な存在も定められていない。
中には複数の呼び名を持つ神すらいるぐらい
神としての存在自体は絶対ではなく限りなく曖昧なのに
感覚として日々確かに触れる事実に対して感謝し、
手を合わせるというのは分かりやすい。

神の社を訪れ、手を合わせる人の多くは
目前の神の名を知らない。でも知らなくても構わない。

ただ、そこに立ち、心地よいと感じて、
ありがたいと感じて、畏れ多いと感じる。
そして、心静かに深呼吸する。

それも感性あってこそ。なわけで。